Yoshihiro Kuno Official Diary
 
危機管理能力とは?
 トップの能力が問われるのは状況の認識がいかに敏速に正確におこなわれるかということにあります。戦後60数年かけて築きあげてきたトヨタ王国の信用が一気に崩れようとしています!
【2010.02.10 Wednesday 11:36】 author : 久野能弘
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このところやたらと宗教系の雑誌の広告が多いのに気づきませんか?
 わが国の臨床心理学の悲劇は臨床心理学が中、高の生と指導の教師たちと精神科医たちの扇動のもとに開始されたことにあります!本来国際的には臨床心理学といえども心理学の一分野であり、応用心理学として発展したものなのですが、わが国の臨床心理学は、学部出身の数学の教師、世界史の教師、宗教家、児童相談所、職業相談所、教育研究所などの心理学の専門教育を受けていない人たちの指導のもとに開始されたのです。この天はわが国の臨床心理学が国際的な流れとは偏奇しているところで、いわばわが国の臨床心理の初期の指導者は医学部を出ていない精神科医が後輩を要請した様な奇妙なところから出発しているのです。その弊害は半世紀を経た現在迄つづいており、例えば心理臨床学会や臨床心理士教会の幹部にはなお、心理学の専門教育を受けずに育った人たちが大きな勢力を占めているのです。

 ここ3年、地下鉄での通勤をつづけていますと車内の吊広告が結構時間つぶしになるのです!そこで気づくのは宗教関連の雑誌広告の多さです。人間あさましいといいますか、地位を得、財力を得ますとつぎに欲しいのは名誉であり、ノーベル平和賞を目指してk働きかけをつづけたのですが、これがうまく運ばないとなると、各国の大学に働きかけて名誉教授や名誉博士号を獲得しつづけています。煩悩ここに極まれりの観があります。
  宗教団体のこのところの政治活動の低迷から、今度はマスメディア支配へと方向転換を図りかけてきた観すらします。
 一昨年来、経団連によるCM制限を通じてのメディア制御が進み、マスコミが企業に対して不利な情報を流さなくなった結果、欠陥車の野放販売が黙認され、経済原理にもとずくしっぺ返しをうけて、今や国際的に屈辱的なリコールが実施せられています。
 派遣会社の設立。派遣社員切りと、ボーナスの部分的カットと、大資本だけが利益を蓄積し、一見、企業にとって有利に見えながらも結果として国全体の購買力を下げてしまったことは経済に疎いわれわれでも読み取れるところです。
 このところ、サラリーマンの出世競争原理を経済界に持ち込んだ、下手人として奥田、御手洗の両会長に批判が集中しています。ここ10何年かの経団連の舵とりに不満があってか今回会長の人事が国際派の財界人、米倉弘昌・住友化学会長に内定したようです。
 たしかに会社の規模はトヨタやキャノンに比べて小さいですが、国際的には評判も上々のようです。ただ、
奥田、御手洗体制の残効がなお濃厚なようなので心配もあるのですが、政変もあったこと故、経団連もこのあたりで世の中の信頼を取り戻してもらいたいものです!
 小泉政権も去って久しく、なんといっても郵政民営化問題で亡くした信用を多少とも取り戻せないものでしょうか?今や経団連といえどもその横暴は許されなくなっているのです。
 驕る平家久しからずと云いますが、ひたすら利潤だけを追求してきたトヨタと云う会社に愛着を感じている庶民は少ないのです。たとえば、その昔住友の社員はその会社に所属しているだけで誇りを感じ親族の多くが住友の社員であったという時代もあったのですが、今トヨタの社員でトヨタに愛着を感じている者はどれほどいるでしょうか?少なくともその下請け会社の人達はトヨタに恨みこそ持ってはいてもその傘下にあることで誇りを持っている人達は数少ないのです。彼らの結びつきは単に利害だけなのですから、この不況下に骨迄しゃぶりつくされて、工場をたたむ人達が数多いのです。ブレーキ系統のトラブルと云うのは如何にも象徴的で、先ずはトヨタと云う会社の暴走にこそブレーキが必要ではなかったのか、下請け会社のリコールこそ必要なのではなかろうかとおもわれます!日本国はトヨタと共に討ち死にすることだけは極力さけたいのです!われわれは豊田佐吉や豊田織機にあこがれをもってはいてもトヨタという新興財閥には全く愛着をもっていないのです。トヨタの企業理念には愛車精神、企業への服従精神はもられていても国への奉仕の理念、弱者への思いやりの理念がかけらももられていないのです。
 トヨタと並ぶ新興財閥としてはわれわれは松下、今でいうパナソニックをおもいうかべます。幾年か前に松下が電気ストーブの回収に前者を上げて対応したことを記憶しています。15年も前に売り出した電気ストーブの回収に前者を上げてとりくんだのです。その年のCMの総てを停止し、その費用の総てを電気ストーブの回収にふりむけたのです。これが企業の品格というものです。トヨタの副社長が出てきて言ったのは会社に手落ちはなく、購入者がブレーキの危機が弱いと感じただけの話だと総てを購買車の責任としたのです。ここに企業の品格の差があります。今後もパナソニックは世界から信頼し、続けられれ手良くでしょうし、トヨタは一気にその信頼を喪失していくのです。興味のある人はトヨタの企業理念とパナソニックの企業理念を読み比べてみていただきたいとおもいます。
【2010.02.09 Tuesday 07:49】 author : 久野能弘
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このところ暫く政治談議に流れていましたので、話題を子どもたちに戻しましょう!適応性の獲得とはより要領良く生きることなのです!
 心底、子どもたちは可愛いいと思います。この可愛い子どもたちと晩年を過ごせる幸運を感謝したいとおもいます。ひとに対する好き嫌いの激しいわたしが、何故、子どもだけには好き嫌いが無いのかが不思議です。考えてみれば大人にはいじめ続けられてきたけれど子どもたちからの被害がなかったからなのでしょう!
  子どもは決して天使なのではなく極めて残酷な生き物だという人もいますが残酷とか残酷でないとかは大人の尺度から見た解釈で、わたしに言わせれば自分に忠実なだけです。腹が立ったら怒り嬉しければ笑い悲しければ泣く、総ては率直で自然なのです。わたしどもが日々対象としている発達障害児とラベルされている子どもたちは、より一層率直で、偽るところがないのです。そこでわたしたち専門家がなしていることはいわばよりずる賢く振る舞うことを教えていることになり、ある意味では障害児に偽りを教えていることにすらなるのです。
 わたしは以前のブログで司法とか検察の人々があまりにも正義観に満ち満ちて振る舞い過ぎていることを批判してきましたが、われわれが療育と称して教えようとしていることはよりずる賢く振る舞うことなのかも知れないのです!
 わたしは大人の障害者の方々を相手に長年セラピーを実施して来たのですが嘘がつけないのが精神病者であり、ついたウソに悩むのが神経症者、平気で嘘がつけるのは健常者だと公言してきました。健常であるということはある意味では純粋ではないということなのかもしれません。例えばわたしがしていることは将来の棟方志功を抹殺して凡人を作り上げているのかもしれないのです。半世紀近い臨床活動を続けてきた中で、子どもたちの多くにスピーチを作り上げ、小学校の普通学級に進学させ得た幼児も多いが反面、本来なら開花したはずの特殊才能の芽をつまんで数多くの凡人を作り上げてきたのかもしれないと、反省もしているのです。
【2010.02.08 Monday 05:47】 author : 久野能弘
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 政治の裏街道
 トヨタ首脳部に本当の危機感はあるのか?なぜトップがのりださないのか!信用回復には20年は必要です!まさにトヨタオオ国崩壊の危機です!

 真の権力者は誰か?政治には表舞台と裏舞台とがあり、日本の政治は実際には常に裏舞台で制御されつづけて来たことに注目する必要があります。確かに我が国の権力構造は、立法、行政、司法の三権とされていて、法律を定めるのは国会であり、行政をつかさどるのは政府であり、法を運用するのは司法ですが、主権在民とは名ばかりで、実際に国がどのような力学によって動かされているかを考えてみる必要があります。
 戦時中は形の上では日本国は天皇によって動かされていた筈なのですが、実際の権力は旧財閥と軍部が握っていたのです。忘れてならないのは軍隊は最大の官僚機構だったということです。財閥は政治家に資金を流すことによって官僚を支配しようとしたのですが、最終的には軍事産業を通じて官僚組織に牛耳られてしまいました。
 我が国が決定的に右傾化して、政治が権力を失ったのは2・2・6事件をきっかけとしてのことでした。あの時期に司法がしっかりと役割を果たしていてマスメディアが正市区機能していれば、我が国が支那事変、大東亜戦争へと流れ込むことはなかったはずなのです。
 その伏線として、虎の門事件があり、2・2・6事件があったのですが、この様な政治の舞台裏で
警視庁警務部長の要職にあり警備の直接の責任者であった正力松太郎は事件の責任を取って退職し、やがて読売の社主にのぼりつめるのです。
 検察とマスメディアと政治を制御する裏組織を作り上げたのが正力松太郎であり、彼は
後藤新平の加護の下に戦中戦後の巨大な裏組織を作り上げていくことになるのです。例えば関東大震災直後にデマを利用して日本国内での朝鮮民族の制圧に成功し、2・2・6事件を利用して若者たちの思想弾圧に成功するのです。
 正力松太郎に比べれば小物ではありますが現在ではその子分の渡邊恒雄が政治の裏舞台をうごかしているのです。
 昨年はこの渡邊恒雄と小沢一郎が組んでの政界再編策動は世間をおどろかしました。そのさい、使い走りに遣われたのが元自民党総理大臣森喜郎話とあっては政治の舞台裏の壮烈さにはことばもありません。
 幸いその策動は失敗に終わったのですが、安心をしてはいられないのです。話が難しくなりましたのでプロ野球でのからくりの話を持ち込んで解説しましょう!
 有名なところでは巨人と阪神でかわされた江川―小林の交換騒動、桑田真澄の強引な巨人への勧誘事件、とくに桑田、清原の事件では高校生の純粋な気持ちを踏みにじる様な行為でしたが政治の舞台裏でうごめいている人達の力をわれわれは決して見誤ってはならないのです。
 後藤新平は特高警察の組織付けに成功し、その弟子正力松太郎は戦時中には思想弾圧を進め、戦後は戦勝国米国のGHQとすら裏取引し、岸信介の政界復帰に貢献します。時は流れ、その弟子渡邊恒雄はメディアの一角を握り、やがては小沢と結びついて政治の世界すらわがものとしようとしているのです。後藤―正力―渡邊ラインは政、財、官憲、マスメディアを強いパイプで結びつけているのです。幸い渡邊の策動に気付いた小沢は最後のところで渡邊とのラインを中断したようです。
 現在展開されている権力闘争は政治家と官僚との間のものですが、官僚のトップが司法、検察であると考えれば後藤新平以来の官僚組織は何時の時代にも勝利を得つづけてきたのです。思えば軍隊も、司法も検察も官僚組織にほかならず、ソ連といい、中国といい、権力闘争の真の勝利者は官僚組織であったことに世界の賢人は気づくべきなのです。権力闘争に最終的な勝利をおさめた結果として、やがて国を滅ぼし、人類を滅ぼすのは世界に蔓延る官僚組織であるかも知れないのです。
【2010.02.07 Sunday 10:12】 author : 久野能弘
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今日は朝から一面の銀世界です!まるでこれでは名古屋が金沢です!
 同じ国内でも関西と北陸とでは相当な文化の違いがあり、同じ中部地区でも金沢と名古屋では 県民性に著しい違いがあります。ましてやモンゴルと日本では考え方に大きなずれがあり、一方的に朝青龍を責められないのです。それこそ顔つきは日本人と全くかわらないし、考え方も今の日本の若者と変わるところがない様に見えます。
 われわれは昔から横綱には完成された人格を求めていますが、彼はまだ29歳の若者に過ぎず、いわば青二歳です。明治維新のころを考えれば日本社会は20代後半から30代の人達によって動かされていました。そのころの横綱と今の横綱とでは年齢は同じでも、社会的成熟度に違いがあることを理解する必要があります。

  もうひとつ考慮しなければならないことはことばの意味の取り違えです。彼は相手に頑張れ!と言われてぶん殴ったというのですが頑張れということばは日本人が相手を励ますためによく遣う言葉です。ところが近頃では心理臨床家と云うひとびとが、困っている人に頑張れと言ってはならないといいふらしているのを聞かされます。本当はそれは単なる解釈であって明確な証拠があってのことではないのです。
 とくにこれは阪神大震災のころからよく耳にした忠告です。そんなこともあってか、朝青龍がそのことばを悪口だと受け取っていたとしても致し方ないことです。又、品格などと云う言葉がありますが、品格のない人にあなたは品格が無いと言っても、分かる筈がないのです。そのヒトには
そもそも品格などと云う概念がないのですから・・・。朝青龍が品格を型にはめられることだと理解して反発していたとしても仕方がないことなのです。
 昔、ジンギスカンが台風の怖さが理解出来なくて、我が国が攻撃を免れたと同じように経験の違いと民族の違いが誤解のもとになっていることにわれわれは十分に配慮する必要がありそうです。
 われわれ心理学者は臨床家と言えどもあくまでも科学者でなければならず、解釈が優先されることをあくまでも戒めなければならないのです。外見が似ていても脳の働き、すなわち心が同じであるとは限らないのです。そこに解釈学と説明科学のちがいがあり、心理学は明確な証拠がなければ決断を下してはならないのです!裁判には証拠よりも論理が優先されますので、状況証拠が必要以上に重んじられ、結果として冤罪が絶えることがないのです。これが政治の世界になるともっと極端で、事実そのものより、情緒が重んじられるため、マスメディアによる情報の操作が有力になるのです。何時になったら司法、検察の世界で説明科学が有力な位置を占める日が来るのでしょうかねぇ!
【2010.02.06 Saturday 07:43】 author : 久野能弘
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指導者の責任の重さについて
 第46代朝潮太郎の時代からの高砂部屋のファンであるわたしにとって今回の出来ごとは残念でなりません。現在の高砂親方の指導力のなさはつとに有名ですが、彼にそもそも親方を務める資格があるのかどうか疑問です。国技である相撲は単なるスポーツではなく神技なのです。
 入門のそのときから、親方には相撲道の何たるかを朝青龍にしっかりと身につけさせておく必要があったのです。心、技、体を旨とする相撲道においてむしろ勝ということは二の次のことであるはずです。朝青龍は未来永劫に相撲道を穢(けが)した人物として語り継がれることになろうかと思います。本来は理事会は退職の申し出を受け入れるべきではなく、断固、解雇処分を言い渡すべきでした。このあたりの甘さを考えますと、文科省も一度援助資金を絶つなどの処置をしてもよかろうかと思います。
 ヤクザの世界ですら、素人に手を出すことは戒められていて、その罰は検察から下される罰の比ではないのです。武道は礼に始まって礼に終わるというほど厳しいものです。このあたりを考えると大学相撲から入門した高砂親方自身が相撲道を十分習得しているとはいえず、その責任は非常に重いと考えられます。
 今後は横綱審議会も人格の評価をもう少し厳しくすべきでしょう!新理事の貴ノ花親方も力士研修所長の要職に就くことになっており、厳しい教育を要請したいものです。学問の世界においても、芸術の世界においても伝統の伝授は非常に難しく、総てが中途半端になりかねないのです。
 わが国では弟子の養成のためのしっかりとしたシステムが出来上がっておらず、どの世界においても弟子は師匠の振る舞いを盗み見て身につけていかねばならなかったのです。このようにわが国の教育システムは模倣が中心になっているにもかかわらず、臨床心理士養成大学では守秘義務を名目に学生は先生がクライエントにどのように接しているかを見せないままに臨床実習が進められるのです。これでは自動車の教習所の方が教育体制は進んでおり、受講者は先生の運転を模倣することで運転技術を学ぶのです。
 ところがわが国の臨床心理士の臨床実習の現場では先生がクライエントとのやり取りを学生に見せるのでなく学生同士にクライエントとセラピストの役割を演じさせ、それをビデオに起こしているのは良い方で、多くは学生に互いの遣り取りをレポート形式で報告させ、先生はそれにコメントを与えるだけで済ませてしまうのです。そのやり方について批判すると自分も大学ではそのようなやり方で技術を習得してきていて、全く不自由はしてきていないというのです。だからあなた方には臨床の成果が上げ得ないのだというと、その人たちは極めて機嫌がわるくなるのです。これでは指導者の責任がどこにあるのか分かり様がないではありませんか!中学、高校に派遣した臨床心理士、と元校長達の臨床上の成果をくらべると、断然校長の方が高いというのでは困るのです。わたしに言わせれば臨床心理士の養成法が基本的に間違っているということになります。相撲の世界だけではなく、今こそ指導者の責任が問われるときです!最大の問題はそのようにして卓越した指導者のモデルを模倣する機会もなく育った臨床家が今や教員、教官として院生を指導していることで、いわば素人によって教育された学生がわがくにでは臨床心理士の資格を得ていくことになっているのです。パイロットに航空力学の知識は必要ですが航空力学に通じているだけで飛行機を操縦することはできないのです。
【2010.02.05 Friday 09:51】 author : 久野能弘
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